根底にはいつも楽しさがある。
自分の考えや思っていることを発信しようと思って始めたブログ。
気づいたら15記事も書いていて、どれも今の自分なりに精一杯気持ちを込めて書いた記事たち。
でも最近はなかなか投稿が出来なかった。
表現することに肩肘を張りすぎた
もちろん書いていて楽しいんだけど、でも多くの人に読んでもらおうとしすぎて肩肘が張りすぎていたような気がふとしたんだ。
アクセス数とか、キーワードとかもちろん気にしていくべきだし、多くの人に読まれた方がいいに決まってる。
だけど、どう見られるかを意識しすぎて、日々思っていることをなかなか形に残すことが出来ないでいることが続いたんだ。
記事として強いとか、弱いとか、そんなことばっかり気にして、文章を書いている時のあの高揚感を全く感じない時もいっぱいあった。
発信したくても発信できないもどかしさを思い切り痛感して、悶々と日々を過ごしていた。
楽しさの中でこそ前に進んでいける。
僕が何かを成し遂げる時、必ず根底には楽しさが存在してる。
純粋にそれをやっている事がたのしいと思えているんだよね。
それをやる上で面倒なことや、大変なこと、努力しなくてはいけないことがあったとしても、根本で楽しいと思えているから、大変だし腰が重いんだけど、結局出来ちゃったりするんだ。
楽しいからやっていること自体に価値があるから、その瞬間を思い切り生きれているのかもしれない。
人の役に立つ=思い切り楽しむ。
人の役に立つことも同じだと思うんだ。
このブログも何かを日々思ってる考えとか、生きてきて感じたことが、同じような境遇の人の勇気になればと思って書き始めたけど、
役に立とう、役に立とうとしすぎて自由に表現出来なくなっていた。
こんなもんじゃ誰にも見てもらえないぞって、1人でプレッシャーを掛けていたのかもしれないな。
でもふと振り返ると、誰かの役に立ってありがとうって言われる時って
自分自身がやっている事を純粋に楽しんでやっている時なんじゃないかって思う。
相談事をなんかよく受けるけど、役に立とうというよりは相手の言葉に耳を傾けて、何かが届けばいいと思いながらコミュニケーションを楽しんでいるだけだったりする。
最後は悩みが軽くなって感謝をされるんだけど、こちらこそ素敵な時間をありがとうって感謝をしなきゃいけないといつも思っている。
誰かの役に立ったり、多くの人の目に付いたりするものっていうのは、その本人が思い切り楽しんで、幸せになって、その人の器から溢れちゃったものが周りにいる人の役に立ったり、伝播していくんじゃないかって思うんだ。
役に立たなきゃって肩肘張るんじゃなくって、楽しいと思えることを思い切り楽しむ。
そうやって行動してる時に、その人の持ってる一番いい所が輝いて、意識しなくても周りにいい影響を与えちゃったりするのかもしれないね。
自分が一番に楽しむこと。
人を喜ばせたかったら、まずは全力で自分を喜ばせてみよう。
自分の楽しいを全力で謳歌するんだ。
人生楽しんだもん勝ちっていうのは自分だけが楽しいからいいわけじゃなくて、周りも楽しくなっちゃうから、チョー最高だぜ!って意味なのかもしれないね。
このブログも、ラジオも、仕事も、遊びも…
もう一度心を入れ替えて、本気で楽しみにいってみようかなんて思ってちょっとワクワクしている金曜日。
明日はどんなふうに楽しんでいこうかな?
相手に歩み寄る5つのステップ
世の中には人の数だけ考え方があって、価値観が存在する。
その中で、波長の合う人が行動を共にしたり、時間を共有したりするんだけど、
どうしても相容れない部分が出てきて、衝突が起こってしまうことがあるんだよね。
僕は感情的な口論が嫌いで、自分の意見を否定されることも、相手の意見を否定することも嫌いだ。
なるべくなら相手の意見に耳を傾けつつ、自分の意見もしっかりと伝えてコミュニケーションをとりたいといつも思っている。
そんな僕が意識している、考え方の違う「相手に歩み寄る5つのステップ」を記してみる。
①考え方が違ってあたりまえと思う
自分以外は全員他人だ。
当たり前のことなんだけど、人はみんな違う考えを持っている。
それが人間関係の薄い人なら、受け入れやすいんだけど、人間関係の厚い、近しい人となると少し変わってくるんだよね。
「分かってくれるだろう」とか「近いからこそ分かってほしい」という思いが前に出て考え方が違うことを受け入れ難くなってしまうんだ。
その思いが相手を無理に変えようとしたり、考えを否定することにつながって衝突を起こしてしまう。
どんなに近い存在でも、どんなに良い関係が気付けていても、
その人は自分とは違う他人であって、考えが違っていてあたりまえ
と改めて思うことがまずは大切なんだよね。
②自分の意見をはっきりと伝える
相手に歩み寄るということは、自分の意見を曲げてまで相手に合わせていくということじゃない。
まずは自分がどう思っているのかを本音で伝えることが大切だ。
コミュニケーションは壁打ちテニスと同じで、しっかりと強く打てばボールはしっかり返ってくるし、弱く返せばそれだけ弱くボールは返ってくる。
ボールは意見そのものだ。
だから相手の意見をしっかり受け止めるためにも、自分の意見をまずはしっかり述べること。
食い違った意見をいう事を恐れる人がいるけど、食い違った後の対応さえしっかりしていれば、相手に歩み寄れるチャンスになるんだ。
この時言葉が攻撃的にならないように言い方にはよーく気を遣う。
僕は「僕がどう思っているか、しっかり伝えたいんだけどいいかな」って許可を取るようにしている。
聞いてくれるようであれば、「ありがとう」と感謝を伝えてから話し始めると、しっかり最後まで聞いてくれることがほとんどだ。
こういった気遣いも大切な要素だと思うんだよね。ホントに。
恐れずに、本音で自分の意見を伝えること。そこから歩み寄りは始まっているんだ。
③相手の意見を一つの考え方として尊重する
相手の意見を聞くことはできるんだけど、
自分との違いを見つけたり、反論したくなったりしてもやもやしてしまうことがある。
それは、人は自分が一番正しいと思っているから。
だからなかなか自分と違う考え方を受け入れることができないんだよね。
でも、いきなりが受け入れるできなくても、相手の考え方に興味を持つことはできると思うんだよね。
そんな考え方があるんだ!って。自分にはない考え方だな~ってくらいでもいいと思う。
ただ、その時に絶対に良い悪いのジャッジをしないこと。
ここでジャッジをしてしまうと、意見に優劣をつけてしまうから、ありのまま一つの意見としてみることが大切。
その存在を認めてあげるっていう表現がいいのかな。
さらに、そう考えるようになったきっかけやその人の過去にまで思いが及ぶようになれば、よりその意見を一つの意見として尊重できるようになる。
過去の出来事と今の考えは強くリンクしてることが多いから、相手の過去を知ること相手の考えを理解することにも繋がっていくんだ。
④相手の意見の共感できるところを見つける
相手の意見を総合的に良い、悪いと判断するのではなくて、
こんな所がいいよねと共感できるところだけをピックアップして伝えてあげる。
全く共感できるところが無かったとしても、それはそれだけ自分にとって新鮮な、新しい考えだから学びが多いはずなんだよね。
でも本当はいい所なんてすぐ見つけられたりするもんだ。
言い方が気に食わないとか、意見そのもの以外の要素が邪魔をして見えなくなっていることが多いんじゃないだろうか。
ここは相手の意見そのもの、本質を見てあげる重要なステップになる。
余計な感情は抜きにして、相手の意見を見つめることが大切だ。
⑤自分の意見と相手の意見の共通点を探し出す
相手の意見をしっかりと把握した上で、自分の意見と照らし合わせてみると、
一見違うように見えて根底の考え方や思いは一致している部分があることが多い。
例えば子育ての方針が夫婦間で違ったとしても、根底には子供を大切に思う気持ちがあるように、具体的な行動以外でも一致する感情や思いのようなものはあるんだ。
そこを探し出して、同じ思いでいるということを伝えてあげると、2つの意見は対立の状態から境界線が曖昧になってくるので、相手も考えた上でその意見を持っているんだなと受け入れやすい状態になってくる。
そこで、すぐに2つの意見をまとめる答えが出せなくても、根底には共有している部分があると分かるだけで相手との距離は今までよりも格段に近づくと思うんだ。
そこから時間をかけて2人の答えを出していってもいい。
大事なのは共有している思いがあることをお互いが知ることなんだ。
まとめ
最後にどんな着地点を迎えるかは人それぞれだけど、このステップを踏むと、相手の意見も心地よく聞くことが出来るし、相手も気持ちよく意見を述べられる。
人はされて嬉しかったことは相手にもしてあげたいと思うものだ。
相手も歩み寄ってくれることがあるかもしれない。
ただ、相手に変わることを求めてはいけないんだ。
変わるならまず自分から。
このステップがいいなと思っても、相手にこのステップを求めてはいけないんだよね。
自分は変えられても、相手は変えられないという大前提を忘れちゃいけない。
だからこそ、相手がなかなか歩み寄ってくれなくても、
こちらから歩み寄っていける勇気を常に持ち続けていたいと思うんだなぁ。
人生を変える「退路を持ったチャレンジ」
今まで人生を歩んできて、たくさんのチャレンジをしてきた。
もちろん上手くいったものもあれば、上手くいかなかったものもあるけど、
僕の場合はチャレンジする時の状況が結果を左右していたと思う。
逃げ道が残されたチャレンジ
人生でいちばん頑張った時はいつかと問われたら、高校受験だと答えるようにしている。
小学生の時から遊び半分で友達に近所の塾に誘われて入り、特になんの目標もなく、日々与えられる宿題や小テストをこなす日々。
友達と一緒に帰るその時間が楽しくて塾に通っていたようなもんだった。
けれど、日々やるべき事はちゃんとやって過ごしていたんだと思う。
中学生になり、気づいたら成績はトップランクに入っていて、県内有数の進学校を余裕で狙えるレベルになっていた。
途中で成績がブレたりして必死に頑張った時期もあったけど、本当に頑張ったと言えるのは一瞬だけ。
仮に落ちても違う高校には入れるし、強く目標には執着していなかったけど、やった方がいいことはちゃんとやったという印象だ。
これが出来なかったら終わりだなんて首を絞めることもなく、日々やるべき事をちゃんとやってそこに満足感を得る余裕があった。
結果はもちろん合格。
嬉しいし、達成感もあったけど、不思議と頑張った印象はなかったんだ。
周りはとことん褒めてくれて、僕は舞い上がって宙に浮いた(笑)
退路を断ったチャレンジ
20代前半。自分でビジネスをやろうと思った時、僕は思い切って退路を断った。
今までの学歴を駆使して勝ち取った、銀行員という肩書きを捨て、自分の道を歩むことを決めたんだ。
ある程度の用意されていたレールの上から飛び降りた瞬間は、恐怖と同時に究極の自由を手にした気がした。
自分で道を選んだという満足感に浸る。
だけどそれは一瞬だった。
そこからはもう後戻りなんて出来ないという、真っ暗な道を進む感覚。
ここを行くしかないという思いで頑張れる時もあったけど、それも長くは続かなくて、足がすくむことが多くなっていく。
やらなきゃという思いと、泥沼にはまっていくんじゃないかとい思いがせめぎ合い続けるんだ。
ブレーキとアクセルが同時に踏まれて、心がどんどんすり減っていく。
そしてある時、アクセルから足を離して完全に足を止めた。
夢を追うよりも、もうこれ以上続けることは出来ないという気持ちが勝った瞬間だった。
心の余裕があなたの未来を作る
今思えば失敗したチャレンジは無用な追い込みが原因だった気がする。
追い込めば追い込むほど、力が発揮できるし、追い込まないと成功ができないと思っていたんだ。
でも思い切り20代をつかって追い込んだ時分かったことは、追い込んだ方がいい人もいれば、そうでない人もいるということだ。
火事場の馬鹿力が出せる人もいるし、焼け焦げてしまう人もいる。
僕はもっぱら後者だった。
心に余裕がある方が、優雅に動き回ることが出来るタイプだったんだ。
そこに気づけたのは、思い切り退路を断ってチャレンジしたからこそなんだと思う。
僕にとって退路を断つことは、退路を断たない方がいいと気づくための道のりだったのかもしれない。
人生を変える「退路を断ったチャレンジ」
今は退路をしっかりとってチャレンジができている。
これが出来なくても自分は大丈夫という心の余裕をもって行動ができるんだ。
人が目標を立ててその実現のためにチャレンジする回数はなんと平均1回未満という結果が出たそうだ。
チャレンジというものを重くとらえすぎて行動できない人が多いんじゃないだろうか。
僕は退路を作ったことで、今まで以上に気持ちよく、かつ多くの行動を取ることができるようになった。
今までよりも遥かに忙しくはなったが、発信する時間は何とか捻出しようとして、ほかの作業の効率も自ずと上がる。
忙しくて出来ないなら、そこまでやりたくないことなのかもしれないという割り切りも持ってやっている。
ただ、失うものがないから行動がすべてポップなんだ。
楽しみながら前に進むことが出来る。
人生を変えるには多くのチャレンジと行動の数が必要だ。
退路なんか断たないで、安心安全なところから、やりたいことをとことんやってみたらいい。
こうしなきゃいけないなんてことはないんだ。
沢山チャレンジして、沢山失敗できる環境が今の時代は作られている。
人生を変えるために思い切りチャレンジしよう。
帰れる場所がある、安心感を感じながら。
じぶんの頭で考えること
しっかりと見てもらえるブログを書こうと思い、最近はプロブロガーの方のサイトを研究したり、ブログデザインやSEO対策について学び始めました。
おいおい、思った以上に深い世界じゃないか・・・。
これは一筋縄ではいかなそうだとめげて、やり方がいろいろありすぎて何を参考にしたらいいか分からなくなったけど、
最短ルートを探すよりも、今じぶんがこれならできると思えるものから取り組んでいこうと思って気楽に考えています。
様々な情報があるけれど、その情報をもとに自分の頭で考えて、
納得して前に進むことが本当に重要だと思ったというお話。
答えがある世界で生き続けてきた20代前半
学生時代は勉強がよくできたタイプで、よく言う要領のいいタイプの学生だった。
効率よく勉強して、いかに楽に正しい解答にたどり着くかを考えてきた、
「ずるがしこい」やつ。
おかげでいい高校、大学にも進学できたし、社会人になってからは、仕事上の事務作業はスピーディにこなすことができた。
目上の人からはその能力をほめられたし、効率よく、求められた答えにたどり着くことが正しいことだと思っていた。
もちろん手を抜くという技術もしっかり身に着けて(笑)
答えがない世界でさまよった20代後半
しかし、会社を辞め、自分でビジネスを展開するようになって、
今までの能力が全く生かせなくなってしまう。
こうしたらいいという答えがないから効率も何もないのだ。
まずその答えを自分で探せと言われるが、どう見つけていいのかわからない。
いつも答えのある世界で生きてきたから、それがなくなったら何をしたらいいのか見当もつかなくてヤキモキする日々。
周りには情報があふれ「こうすればうまくいく」「こうしないと成功できない」など
たくさんのノウハウに囲まれ、とうとう身動きが取れなくなってしまった。
ただ、何とかしなくちゃいけないと思い、周りにある情報で目的地に早くたどり着ける最短ルートを探す。
そして自分に合いそうなルートを無理やり当てはめていく。
これはいいかもと思ったやり方もたくさんあったけど、最後はいつもどこかでわだかまりがあって、飲み込みきれずにいた。
ずっと何者かになろうとして苦しんでいたんだ。
そんな延々と続く足踏みの中で、一冊の本と出会う。
10年後、君に仕事はあるのか。~藤原和博さんとの出会い~
あるきっかけからブライダル情報誌「ゼクシィ」の立ち上げの立役者である、岩本博さんの公演を聞きに行ったときに、岩本さんが絶対に呼んだほうがいい本として
「10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための雇われる力」
を挙げていた。
これからの時代、大きく仕事の在り方が変わる、その中で必要な力がこの本に示されていると話されていて、即購入。
高校生向けに書かれた本のようだったが、あまりにも素晴らしい内容にあっという間に読み終えてしまった。
10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための「雇われる力」
- 作者: 藤原和博
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2017/02/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
たくさん重要なことが書かれていたけれど、そこで出会ったのが「納得解」という考え方。
今まではその時々で、最適な答え、すなわち最適解を導き出し、そこに効率よく向かっていく力が必要だったが、
これからの時代は、情報を集め、自分の頭で考えて納得できる答え、すなわち納得解を決めていく必要があると書かれていた。
もちろんその答えは間違っている可能性があるし、外れるほうが多い。
でも、そのたびに修正をして次の答えを作っていくという力が必要だ、という内容だった。
何も考えていなかった自分に初めて気づく
藤原さんの本を読んで、答えのない世界で延々と最適解を探し続けてきたことにやっと気づかされた。
自分以外のどこかに自分に合った正しい答えがあるものだと思い込んでいたんだ。
探していた場所に答えはないと悟ったとき、安堵すら感じたのを覚えている。
それからというもの、ゆっくりカフェに入り、自分の人生で何がしたいのか、強みは何か、どうやったら人の役に立てるかなど、納得が行くまで考え続ける日々が続く。
こんなにじぶんの頭で考えるのが大変なのかと、最初は戸惑ったけど納得のいく答えが出せるたびに、迷いがなくなって次の行動をとりたくて仕方がなくなる。
20代後半から探し続けてきた答えは、ずっと自分の中にあったと気づいた瞬間だった。
一度実家に戻って生活を立て直そうと思ったこと、結婚を意識するようになったこと、
ラジオを始めたこと、ブログを書き始めたこと・・・。
すべてが自分の中で納得して出した答え。
周りになんて言われようが、これが正しいと胸を張って言える答えだ。
自分の頭で考えることは、自分で人生をデザインすること
たくさんの有益な情報があふれている。
ネットを調べれば必要な情報にはすぐにたどりつくことができる。
でもあなたの情報はあなたの中にしか存在しないのだ。
こうしなければならない、ああしたほうがいいという先人の意見も、あなたの考えとすり合わせていかなければ、それは行動を制限する足かせにしかならない。
あなたがあなた自身で考え、納得解を導き出して行動したときに初めて、
あなたはあなたの人生をデザインできるようになるんだ。
そしてあなたのデザインに、共鳴する人が必ず出てくる。
あなたにしか出せない色に惹かれる人が現れる。
そんな人たちを大切にできたとき、あなたは無敵になると思うんだ。
もっともっと考えて、挑戦して、失敗して、そして修正して。
あなたらしさを磨いていってほしい。
本当のあなたはあなた自身の中にいるのだから。
それを探す旅が「人生」なのかもしれない。
ブログとラジオの違い~即興と完成品~
最近はじぶんを表現する手段として、ラジオとブログに力を入れて展開している。
両方とも言葉を扱うメディアだけど、やってみると全くスタイルが違うことに気付いた。
ラジオは収録前にある程度のアウトラインは決めているけど、基本的には即興の世界。
このことを伝えよう、と決めて話し始めるんだけど、話している最中に、あれもこれもと話したい話題がたくさん出てくる。
それを全部伝えようとすると、内容がどんどん複雑になっていって何を伝えたかったのかが分からなくなってしまうんだ。
中華料理の素晴らしさを伝えたかったのに、おいしいからと言ってフレンチやイタリアンも一緒にふるまって、軸がぶれてしまう感じ。
特に今配信しているRadioTalkというアプリでは12分しか時間がないから、その中で必要な、重要なテーマを伝えなきゃならない。
これが本当に難しいところなんだ。
これを伝えようという核はもっているのに、飾り付けすぎて核が見えなくなっていく。
でも意識をしてないと、思いついた言葉はどんどん口から出て行ってしまう。
そしてラジオは一発撮りのため、発した言葉を飲み込むことができない。
だから核となるメッセージをしっかりと伝えるためには、多くの言葉を発することよりも、言葉をフィルターにかけてふるい落としていく方が大切なんだと最近気づいた。
今まではたくさんの周辺情報を盛ることで、核が伝わると思っていたけど、実は違う。
思い浮かぶ話をぐっとこらえて、伝えるべきポイントをシンプルに伝えることが大事なんだね。
それで時間が余ったら具体例で飾り付けを一つ二つ程度添えてあげる。
実はそんなもんでいいんだろうな。
事件性の高い(笑)面白い話題ほどグッとこらえる能力が余計に問われるね。
まあずれていってしまうのも即興の面白さと言えば面白さなんだけど・・・。
ラジオ配信においては、肝心なとこだけはしっかり伝えたいと思う今日この頃。
その点ブログは書いている最中に何度もリライトできる(この文に至るまでに死ぬほどリライトしてる)から、現時点での完成品を表現することができるのがいいところ。
流れや構成を目で見ることができるし、その場で修正できるというのはラジオに比べて便利なところだとつくづく思う。
その分クオリティが求められるんだけどね・・・。
でも、内容や、構成が気になる分、ブログを書き出した段階ではひらめきが起こりづらい。
なぜなら、思考表現の最後の仕上げがこのブログだから。
だから書き出した段階ではもうそれ以上の大きな変化やひらめきは起きないんだ。
このブログは日々生きる中で考えたことや、その中で有益なものを発信することを目的としているんだけど、そういったひらめきや考えは、即興の中に潜んでいたりする。
そうなるとラジオ配信で出てきた言葉や残念ながらふるいにかけられて表に出なかった話や考えも、ブログならゆっくり整理することができる。
だからブログはラジオを配信した後に書くことが多いし、その方がクオリティが高い。
それは降りてきたひらめきや考えをゆっくりまとめられるからなんだね。
ちなみにこの記事は、ラジオ配信前に書こうとしたもの。
はっきり言って苦戦している(笑)
やっぱり、即興のラジオでひらめいてそのあとに考えをまとめるブログっていう役割分担がいいのかもしれないね。
ラジオ:日常のひらめき、考えを受発信する装置
ブログ:ひらめきや考えを整理して完成させる装置
そんな捉え方で、情報発信できたら楽しそうだな~なんて思うので試行錯誤を繰り返そうと思います。
お堅い記事が続いていたので、ラフに思うまま書いてみる。
そんな日常もなんかいいじゃない。
幸せをありがとう。
だんだんと日が短くなり、自然と物思いにふける時間が長くなってくる。
昔を振り返るにはちょうどいい季節になってきたのかもしれない。
金木犀の香りも薄れ、本格的に冬が顔出し始める。
11月の3連休中日は友人の結婚式に行ってきました。
小学校から大学時代まで、本当によく遊び倒した友人の結婚式。
本当にめでたくて、でもあまりにも一緒にいすぎて、結婚するなんていう実感もわかなくて。
不思議な思いで、当日を迎えたけれども、凛とした表情でバージンロードを歩き、新婦を迎える姿は、新たな家庭を作る覚悟に満ち溢れた立派な新郎だった。
いつまでも変わらない友人像と、大きく変化してきた友人像が重なり合って見える。
最高にかっこいい姿だった。
披露宴では昔からの友人もたくさん集まり、懐かしいトークや写真で盛り上がりながら昔を振り返る。
それぞれ、進んでいる道は大きく違うが、同じ学び舎で過ごした仲間たちだ。
ふざけることしかしていなかったあんな奴も、新郎に向かってばっちりとスピーチをこなす。
みんな出会って20年以上の歳月を経てきたが、それぞれがそれぞれの変化をしてきたんだと実感した。
ふざけるときは一致団結してふざけ、しっかり決めるときはカチッと決める。
まるで、学校の教室に戻ったかのような、みんなで文化祭に出ているかのような感覚が僕を包む。
おいしいお酒がそうさせるのか、それとも場の空気なのか。
僕の心はすでに幸せでいっぱいだった。
披露宴は終盤に近付き、恒例の親への手紙、感謝のスピーチ。
ありきたりなメッセージかもしれないが、そこには新郎新婦の人生がのっかっている。
何度も耳にするような手紙でも、涙をこらえながら思いを伝える姿、そしてそれを受け入れるご両親の姿に、じぶんとじぶんの両親を重ねてしまい涙があふれてくる。
ここまで育ててくれた感謝と、与えてくれた愛を次の世代に与えていく覚悟。
そんな思いがスピーチに込められていた。
結婚式はゲストに呼ばれたとき、新郎新婦の幸せを祝福する立場だと思っていたが、
どうやら違ったようだ。
新郎新婦の幸せな姿を見ることで、大いにこちらが幸せになり、親にもっと感謝をしようと思い、じぶんも大切な人を幸せにしたいと強く思うようになる。
祝福するどころか、こちらが未来を祝われているような感覚に包まれたんだ。
新郎新婦をはじめ、多くの友人から「次はお前だな、楽しみにしている」と発破をかけられる。
幸せのリレーのバトンをどうやら渡されたようだ。
精一杯、大切な人を大切にしようと思った瞬間だった。
結婚式を挙げ、そこに呼んでくれた友人には心から感謝をしたい。
幸せには限りがなく、たくさんの人におすそ分けができるのだと証明してくれた。
おめでとうとありがとうの交差する場所。
僕もそんな場所を提供していきたいと思った11月初旬。
これからどんな未来が待っていても、尽きることのない幸せを人に提供できるように、また一歩前に進もうと思ったのだ。
ネガティブは誰かの力になる
三連休初日。ここ最近の寒さがうそのように温かい一日。
このまま春になればいいのになんて思うけど、冬があるから春がより春らしく感じられるんだと思い出す。
僕の20代は間違いなくチャレンジの20代だった。
順風満帆に進んできた学生時代。
そこで積み上げたものを一度放棄して、じぶんのやりたいことを人生かけてやってきた。
周りの反対を押し切り、大きなチャレンジにでたんだ。
それだけのチャレンジだから、必ず成し遂げられると思っていた。
必ず形になると信じて疑わなかった。
だけど、いつの間にか、自分で人生をコントロールできなくなっていたんだ。
こうしたほうがいい、こうでなければいけない、期待にこたえたい。
結果を出すために、じぶんの気持ちをたくさん押し殺してきたんだ。
これをやらなければ結果は出ない、でも人に嫌な思いはさせたくない。
じぶんの中で、こうあるべきという思いと、自分の本当にありたい姿の葛藤が延々と続いた。
ずっとアクセルとブレーキを踏み続けていたんだと思う。
だから、前に進んでいるようで、エンジンが悲鳴をあげているだけだったのかもしれない。
しかし、ある時、大切な人が僕のアクセルを踏む足をそっと上げてくれた。
「もっとあなたらしく生きたほうがいい、あなたにはあなたらしいやり方がある」
アクセルを踏むのをやめた僕は、一度しっかり立ち止まって周りの景色を見る。
ずっと前しか見ていなかった僕は、ふと横や後ろをじっくり振り返ってみた。
犠牲にしていないようで、たくさんのものを犠牲にしてきていたんだ。
僕の大切にしてきた人生観や価値観が無造作に捨てられていた。
もちろん学んだことも多い、いい経験はたくさんできた。
そしてここまでかけてこなかったらブレーキを踏めなかっただろうと思う。
まだ何かあるんじゃないか、まだ何か・・・と思い続けていたかもしれない。
その大切な人の言葉は僕に人生を深く考え直させるきっかけになった。
たくさんたくさん考えた結果、理想の自分を追い求めて足りないものを埋めていくよりも、
今できることで、今いる人たちの役に立ちたいと思うようになったんだ。
目標を設定し、それをなりふり構わずクリアしていくことだけが正義だと思っていた自分が、無理をしていたことに気づいた瞬間だった。
今は引っ越しも控え、大きく環境を変えつつある。
正直、不安や恐怖も大きい。眠れない日も多くある。
だけど、じぶんが納得して出した答えだから、後悔は全くないんだ。
じぶんで選んだという100%の思いがあるから、心はすっきりしている。
僕の20代は変われない弱さと、自分の選択ができない依存心でいっぱいだったと思う。
だけど、同じような思いをしている人がもしいるのであれば、僕の経験は必ず役に立つことがあるだろう。
一見ネガティブな経験はマイナスにとらえられることが多いが、人によっては勇気を与えられる。
僕は様々な経験をした分、どん底を味わった分、もっと多くの迷っている人たちに
「大丈夫だよ」
と声を掛けられるようになれるかもしれない。
それができたら、過去は本当に価値のあるものになるし、
そうなるための今日は本当に価値があると思うんだ。
だから、今日もできること、全力でやっていくよ。
人生の軌跡が、人の人生に奇跡を起こせると願って。