まっすぐ上を向いて

日々の気づきやちょっと元気になる考え方を提案します。

朝活ならぬ”あさ家出”をやってみた結果

stagears.hatenablog.com

こんな記事を書いておいて、それを実践しないなんて許されないということで早速あさ家出を実施してみました。

 

めちゃめちゃ眠かったんだけどそれなりに効果があったから報告します(笑)

 

寝起き~外出まで

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 平日は4時間くらいしか寝ないので、休日くらいはしっかり睡眠時間を取ろうと思って7時間も寝たみたら、寝起きがスーパー悪い。

いきなりやる気はゼロ近くまで削がれる。

このまま二度寝してしまおうかと若干の葛藤があったけど、何とか体をあげることに成功。

歯を磨きシリアルだけ食べて、スマホと1冊の本だけもって家を脱出。
この間30分。

 

外出してみると今日の天気は本当に最高で、散歩してると本当に気持ちがよく、すぐ目が覚めてくる。

最高にいい気分でカフェを目指す。

 

カフェ到着~ベストリスト作成

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隣町のカフェに着いてホットコーヒーだけ注文。
さて、しっかり作業しようと思うも、さっきの目覚めは何だったのか、

なんといきなり眠い。

出鼻を思い切りくじかれる。

せっかく外出したのに眠くなるってどういうことやねん!と一人突っ込みを入れながら、暖房のやさしさと、ぬくもりの中まどろむ(笑)

 

でもこんな時は焦らずしばらくぼーっとする。

眠いものは仕方がない、外出したってことを心でほめながら、読者登録しているブログのチェックとTwitterチェック。

そうこうしていると少しずつ頭が回ってきたので、作業開始。

 

今日のベストを書き出して、今日書くブログ案と気づきや学びをメモ帳に書き出す。
ブログ運営についての勉強と引っ越しの片づけがまだまだなので、それもリストに入れて、完成。

とりあえず午前中はここにいると決めて、たまにはゆっくり吸収の時間を取ろうということで、一冊本を読む。

 

今回読んだのは斎藤一人さんの「人生に成功したい人が読む本」

 

人生に成功したい人が読む本 (PHP文庫)
 

 

以前友達に勧められて買った本だ。

2回ほど読んだことがあったんだけど、久しぶりにまた読んでみたいと思ってチョイスした。

たくさんの本を読むのもいいけど、一つの本を何度も読むのも大切だとおもう。
そのときどきの状況やレベルに応じて吸収できるところが全然違うからだ。

最近は自分でよく考えて、自分のことをより理解していく事を最近は心がけているから、今まで見えてなかった箇所が沢山あって、前と読んだ印象全然違った

 

メモ帳に気づきを書き留めつつ、1時間程度で読破すると、もう12時を回っていた。

 

家に戻って片づけ作業

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そろそろ引越しの荷物の片付けをしないと一生片付かないので、家に戻ることに。
家に帰ってまったりモードに入ってしまわないか不安だったけど、結果は全然大丈夫だった。

家に帰ってやることがはっきりしていたし、頭もスッキリしていたから家のムードに飲み込まれることはなかった。

昼飯を食べ、15分の仮眠だけとることにしたが、そこからダラダラすることもなく、ばっちり目覚めることができ、起きてすぐにやる気満々で掃除をスタート。


そこからノンストップで4時間ほど作業したんだけど、ベストリストで書いた行程以上の作業が進んだ。

今までで一番はかどった片づけで、後は粗大ごみを捨てるだけのところまで持っていくことができた。

 

朝の過ごし方で1日が決まる

 

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朝の時間はやっぱり重要。
眠くなってぼーっとしていた時間があったけど、カフェについて1時間もしたら一気に頭が冴えて、そこからはずっといい感じに過ごせた

休日だからといってちょっと長めに寝たんだけど、それも要らなかったかもしれない。
7時ごろに一回目が覚めてるからそこで動き出したら余計によかったかも。

まだ休日だからっていう特別扱いがあるのかもね。

 

朝活なんて大げさなことはできないけど、起きて外出するだけなら取り入れやすい

ちょっと眠気を我慢すれば、予想以上に価値のある休日を過ごすことができそうだ。

 

1日の始まりは1日の行方を左右すると、改めて感じた実践記。

みなさんもちょっとだけあさ家出(笑)してみてはいかがでしょうか。

 

でも眠いもんは眠いんだー!ウワァァァンヽ(`Д´)ノ

 

ダラダラした休日から抜け出すには?

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11月23日、実家に戻ってから初めての祝日。

平日は朝早く出社して、夜中1時くらいまでブログを書いたり、ラジオ収録をしたりしているので時間を気にせずゆっくり眠ることが出来る最初の日。

 

部屋の片付けや、ブログのデザイン変更、その他もろもろのお勉強などやった方がいいことは山ほどあったんだけど、たまにはゆっくり眠ろうと思って目覚ましをかけずに1時過ぎに眠りについた。

でも爆睡できるだろうと思っていたらなんだかんだで7時すぎくらいには目が覚めてしまった。習慣って怖い。

このまま起きて色々たまっている作業をやってしまおうかと思ったんだけど、朝方の寒さと布団の温もりが相まってなかなか布団から抜け出すことが出来ない。

ゴロゴロとしていると、また眠気が襲ってきてまどろみと共に就寝。

 

次に目が覚めると13時を過ぎてた。

やっちまったと激しく後悔して、そうそうに起きて昼飯を食べるんだけど、失われた午前に心が持っていかれてやるべき事に全然手を付けられない。

 

そして長く寝すぎた気だるさで、ダラダラと過ごしていたらあっという間に16時。

1日の半分をだらけて終えてしまっていた。

そこで友人からの電話が入り、会話をしていると頭が回りだしてそこから少し作業はできたものの、大した作業量ではなくほんの気持ち程度のもの。

 

もう今日はだらけきってやる!と決めて、そのあとも終始まったりして1日を終えてしまった。

 

僕にとってはよくある休日のダラダラ過ごすパターン

みんなもこんな経験をしたことあるんじゃないでしょうか。

 

休日のダラダラを撲滅したい

 

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平日は時間が無い中、ブログもラジオも投稿することが出来るのに、休日になると一気にダラダラしてしまうのはなんでだろう。

 

本来だったら休日の方が自分のために使える時間は沢山あるし、有意義に使いたいと思うところなんだけど、何故だかダラダラしてしまうしやる気が起きない時はとことんおきない。

 

昔はこれを意志の弱さとして片付けていたんだけど、意志の弱さが原因だったとしたら一生僕はダラダラとした休日を過ごさなきゃいけないし、毎週末は後悔の日々を送らないといけないので、それだけは避けたい!と思って自分なりの傾向と対策を考えてみた(笑)

 

平日の方が余暇時間の価値が高い

 

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では、休日と祝日で違うことは何か

 

まず思い浮かぶのは、

休日と平日では時間当たりの価値の割合が大きく違うということ。

 

平日は仕事や移動時間など、必然的にスケジュールに組み込まれているイベントがあるため自分のために使える時間は休日に比べると圧倒的に少ない。

そうなると、このタイミングでしっかりやるべき事をやっておこうって思えて行動をとるのが比較的簡単になるし、時間が短い分集中力もグッと上がる。

 

簡単に言えば一日単位での締切感覚があるってことだ。

締切があってかつ時間が短いため、自分のために使える時間はギュッと濃縮されて価値を持つ。

やっておきたいことがあれば、限りあるその時間を無駄にしたくないっていう心理が自然と働くんだね。

 

その分休日はすべての時間が自由に決めることができ自分のコントロール下にあるため、しっかりと動くための仕掛けをしておかないと簡単に人は楽な方へと流れてしまう。

 

時間があればあった分だけ、その時間の価値は失われて、やっておきたいことや、やるべきことがあっても「あとでいっか…」という悪魔の囁きが耳元をよぎりやすくなる。

その囁きに従うとあっという間にダラダラ人間が完成してしまうというわけ(笑)

 

休日にこの余暇時間の価値をどれだけ高められるかがカギとなる。

 

ルーティーンが決まっている

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また、休日は平日と違ってルーティーン、すなわち決まった予定や動きが決まっていない所がコントロールを難しくさせている。

 

大体平日のブログは行きの電車や職場で原稿案を考えて、帰りの電車の中で書き出しているんだけど、平日は電車には必ず乗るし、職場での自由時間もほぼ決まっているから、この時間はこれをするっていう意味づけも付けやすい

 

それに比べて休日は、自分でスケジュールを入れない限り、予定は無いのでルーティーンは自分で作らない限り存在しないし、休日の予定は変わるのでルーティーンもなかなか組みづらいのが問題だ。

 

普段行ってることでも違う場所や時間帯に行おうとするといつも通りの行動とは認識されず、心理的に負担の大きい行動になりやすい。

 

自由がゆえに体も頭もすぐおやすみモードに入ってしまいがち。

余計に行動は起こしづらくなっていく。

 

もっともっと要因をあげればキリがなさそうだけど、この2つが大きな要因なんじゃなかろうか。

時間がありすぎることと、ルーティーンが組みづらいこと。

ここをどう攻略するかが鍵になる。

 

朝の時間を死守する

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もちろん色々と対策はあって、時間の価値単価を上げるには単純に予定を入れて忙しくすればいいし、ルーティーンは組めなくても、スキマ時間でやることを決めておくというのもいい方法だ。

 

でも、僕にもダラダラしないで1日を使いきれた時が何度もあって、その時は何をしていたのかとふと思い返してみたら一つ大きな法則があった。

 

それは朝家に居ないこと

 

そう、通称あさ家出である(笑)

 

これはあくまで僕にとって一番合う方法であって万人に通用するものではないかもしれない。

でも上記のダラダラしてしまう理由に共感が持てる人には少し役に立つかも。

そんな人の参考になればうれしい。

 

僕にとって家は安住の地であり、究極の癒しの場だ。

特に実家に戻ってきてしまっては余計にヤバい。誘惑と癒しオンリーだ。

 

朝家でゆっくりしてから行動を始めようとすると、どこかで自分を甘やかすスイッチが入ってしまい一気にだらけてしまうことがよくある。

やろうやろうという意志は家という究極の環境と休むという意味付けにまんまとひれ伏してしまうんだ。

 

ダラダラする休日を過ごす時は僕の場合必ず朝で失敗している

朝が思い通りにいかないと、その日1日その影響を受け続けるんだ

 

平日は出社というルーティーンによって朝の時間が死守されてるため、そのあとの行動もいつも通り取りやすい。

だけど休日は朝の時間すらも自由なため、一日を左右する大事な時間も簡単に無駄にすることが出来てしまう。

 

だからとりあえず、朝起きたらスマホと財布だけ持って外に出てしまおう。

もちろん色々持っていってもいいんだけど、その持っていく作業がめんどくさくなればなるほど、朝の外出のハードルが上がる。

 

だから僕はスマホと財布とあとはせめてちょっと読みたい本くらいを持っていく事にしている。

そして、どこかの喫茶店でもいいし、外が気持ちよければ外でもいい、あなたの好きな場所で今日1日何をするかと、何に対してでもいいからゆっくりと考える時間をとるんだ。

 

眠かったら究極ぼーっとしていてもいいと思う。でも必ず頭が冴えてピッとする瞬間はやってくるからそれが来るまではだらけてオッケー。

少なくとも究極の安住の地から脱出はしているため、頭は少しずつでも回っていくんだ。

いつものルーティーンは組めなくても、だらだらするルーティーンから抜け出すことはいつだってできる。そこを頑張るんだ。

 

今日のベストリストを書く

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そこで僕は今日のベストを書き出す。

今日のベストとは、今日これができたら最高だよねってリスト。

簡単に言ってしまえばTodoリストなんだけど、全部こなすことを目的とはしていない。

この中の一つでも出来たら、未来を作ったことになるリスト、要するにやっておいた方がいいことリストだ。

 

切羽詰まったやるべきことリストではなくて、やっておいたら後後いいことがあるというものを書き出す。

 

自分が望む未来を作るためのリストを作っていることになるんだけど、これが意外とワクワクする。

全部未来に繋がることだから自然と一つでも多く終わらせたいなと思うんだよね。

行動に価値があると思えれば、その行動をとる時間にも価値が生まれるから、時間を無駄にしないで済む。

 

また今日のベストだから全部終わらせなきゃという義務感もないし、終わらせたら終わらせただけ前に進んで、出来なくても後退することは無い。

何かに追われることが苦手な自分にとっては一番自分に優しく行動を促すことが出来る仕掛けだ。

 

これを書き出して、その場で出来るリストを一つ一つこなしていく。

すると自然と目は冴えて、前向きにもなれるんだよね。

人生にとって有意義なことが出来ている実感もあるし、朝の時間自体にものすごく価値を感じられる。

 

そこで消化できないもしくは時間のかかるリストに関してはそのままにして、あとは自由に本を読んだり情報収集したり、気づきを書き留めたり。

何に時間を使おうとあとはみんなの自由。

僕はニュースや本を読み、気づきを書き溜めて、ブログの構成を考えることが多い。

新しい情報の吸収とひらめきを書き留める時間に使っている。

 

このあさ家出がちゃんと出来た時は、その後の時間も本当に有効活用ができているんだ。

家に戻ったとしても、ベストリストを書いているのでそれを終わらせようと体が動きやすくなっている。

 

1日の始まりの時間に、未来に対して時間を使うというのがポイントなのかもしれない。

 

今日が残された人生の最初の1日

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何でもないいつもの休日も、僕らに残された人生の最初の1日なんだよね。

 

だとしたら、何をしても自由なんだけど、罪悪感を持って生きる1日にはしたくないはず。

未来が現在の積み重ねなら、現在を精一杯生きたと思えるように生きていきたい

 

休日にダラダラしがちな時は無理やり朝の時間を作ってどんな未来を生きたいかと今日のベストを考えてみたらどうだろうか。

それで、いつもと違う行動が一つでも取れたら儲けもんだ。

 

未来を変えてくれるのは行動しかない。

ちょっとでも行動量が増えるように日々日々工夫をしていこう。

 

明日は朝寒そうだからゆっくりしてもいいですか?

猫社会から学ぶ人間関係の悩み

我が家には3匹の猫と1匹の犬が暮らしている。

それぞれがワケあってうちにやって来た訳なんだけど、

人間社会にも人間関係の悩みがあるように、動物社会には動物社会なりの悩みがあるようだ。

 

登場人物

 

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↑ジョン(14) 動物社会最年長のトイプードル♂

おばあちゃんが飼っていたが亡くなって我が家に引っ越してきた。

歳をとるごとに気難しくなり、触るだけで怒ること多数。

もうおじいちゃんなので少々のことじゃ動じず、どっしりしている。かわいい。

 

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↑クー(12) 猫社会の最年長♀

我が家に最初にやってきた猫。保健所から貰ってきたが、

保健所からやってきたとは思えないくらいの箱入り娘感。

一番僕に懐いている。かわいい。

 

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↑リリィ(9) 猫社会の2番手♀

家の前で弱っていたところを見捨てられず一時的に捕獲。

一時的な捕獲なんてもちろん不可能で、気づいたらファミリーに。

もともと野良猫だからかなり気が強い。かわいい。

 

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↑ビビ(5) 猫社会新米♂

母の友人の家に迷い猫として来ていた。

おなかが大きくなっているので妊娠している疑惑があり、中の子供を処分するというボランティアの鬼畜発言から守るため我が家に。

動物病院に連れていったらタダの肥満男子と判明。

やれやれである。かわいい。

 

猫社会の悩み

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最初は犬のジョンだけだったが、白猫クーがやってきて、平和に二匹で暮らしていた。

 

そこに拾い猫のリリィがやってきて、白猫クーが警戒。よくケージ越しにクーがシャーシャーと怒っていた。

しかし時がたつにつれ、リリィのほうが全然体が小さいのに、どんどん活発になっていっていつの間にかクーを追いかけるように。

トイプードルのジョンにも首元にかみつくなど、野生の底力を見せるようになっていき、

完全にリリィ>クー・ジョンの構図が完成する。

クーはあまりにも追いかけられるため、唯一安全な場所である冷蔵庫の上に追いやられてしまった。

 

そんな生活がしばらく続いていたある日、迷い猫のビビが登場する。

ビビの名前の由来は「ビビり」で、そう名づけたくなるくらい臆病な性格。

そして全く噛んだり引っ掻いたりもしない優しいオス猫だ。

 

最初はケージに入れられてひっそりと暮らしていたが、少しずつ慣れさせようと他の2匹の猫を近づける。

白猫クーは拾い猫リリィがやってきた時と同じく、しばらくシャーシャーとやっていた。

ケージから出した後も、クーがオス猫ビビを追いかけるように。

クーは今までのストレスを発散させているのだろうか、そう思いたくなるくらい追いかけている。

ビビはなすすべなく逃げているが、時々同じベッドで仲良く寝ていたりする。

よくわからない。

 

問題は拾い猫リリィだ。

今まで猫にも犬にもひるまぬ野生の力を発揮して、我が家の動物界の頂点に君臨していたが、オス猫ビビが来てからその存在に恐れをなして動物たちがいない2階から降りてこなくなってしまった。

別にビビは何もしていない、ちょっとリリィ近づくくらいで一方的にリリィが大声で鳴いて2階へ逃げていく。

 

おそらくストレス何だろうが、毛並みがワシャワシャになってしまった。

最近は2階でおとなしくひっそり過ごすことが多いようだ。

 

まさに形勢逆転。

 

たった1匹の登場で、追いかけられていたものが追いかけるようになり、追いかけていたものが逃げるようになってしまった。

 

猫社会も猫社会でいろいろあるんだなぁと考えさせられる出来事だった。

(トイプードルのジョンは相変わらずどっしりと構えている、さすが重鎮)

 

人間社会での悩み

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人間社会でも同じようなことが起きると思っている。

普段いる組織でもコミュニティでもちょっとポジションが移動するだけで、世界が変わってしまうことは多々あると思うんだ。

 

新人が入ってきたり、上司が変わったり、はたまた丸ごと違う部署に移動したり。

たった一つの変化で、人間関係のパワーバランスは変わり、生きにくくなったり生きやすくなったりする。

 

プラスに転じればいいんだけど、そういうわけにもいかない。

人間のほとんどの悩みは人間関係の悩みだ。

嫌いな上司にいじめられたり。感覚の合わない人と一緒にいなくてはいけなくなったり、悩みは様々だ。

悩みが生まれてしまったことで、本来の能力が発揮できない人なんてたくさんいることだろう。

 

悩みが発生すると、悩みばかりに注視してしまって私と当事者の二人しか考えられなくなり、世界がどんどん狭くなっていく。

というよりも、世界が狭くなっていくがゆえに悩みになっていくという感じだ。

あなたの世界から相手を消すこともできないし、組織をガラッと変えることも難しい。

 

何の前触れもなく、新しい猫が参入してくるのとまったく同じ状態だ。

完全な隔離もできないし、その中でうまく生きていくしかない。

これが結構つらいんだよね。その世界しか見えなくなる感覚。

学校でいじめにあっている子も、こんな感覚なんだと思うんだ。

 

世界は一つではない

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環境が変わり、息苦しくなったらどうしたらいいのか。

 

僕は自分の世界に登場人物を増やすことを心掛けている

 

僕も昔、少しいじめられた瞬間があった。

それがそんなに長く続かなかったことは幸いだったが、それなりに嫌な思いはした記憶がある。

相手に反抗できるほど強くなかったため、戦うことはなかったが、

その代わり、常に別の友達と一緒にいるように心掛けた。

いじめっ子と自分とで対峙することだけは避けようと、

努力してその環境を作っていったんだ。

 

しばらくはちょっかいを出されたが、別のコミュニティを作っていたのでそこまで気にならなくなり、自然といじめは無くなった。

 

何よりも恐ろしいのは、悩みの世界しか見えなくなってしまうことなんだ

それが自分の世界のすべてのように思えてくる。それは本当に地獄だ。

 

人間関係の悩みにのまれそうになったら、全く関係のないほかのコミュニティーに助けを求めること。

具体的に何か処置をしてもらう必要はなくて、まずは世界を俯瞰してみる必要があると僕は思っている。

のまれそうになる悩みの世界を前にして、この世界が全てじゃないとはっきり理解することが大切だ。

 

例えば学校でいじめがあったとして、ほかの友達と仲良くなれるならそこに思い切り甘えればいいし、

それが無理なら学校から逃げて、家族や学校以外のコミュニティーに触れることだ。

 

根本的な解決にはならないかもしれないが、まず悩みを少しでも楽にするために世界を俯瞰してみてほしい。

僕も組織内で何か嫌なことがあったときは、全く違うコミュニティーで思い切り楽しむようにしている。

自分がつながる世界が一つじゃないってことを知るだけでも、本当に心は軽くなるんだ。

その余裕で、根本的な解決に向けて動き出すことだってできるようになる。

 

残念ながら飼い猫社会では別のコミュニティーを持つことができないので、飼い主が良いあんばいの環境を作ることくらいしかできないが、

人間なら環境やコミュニティーを自らの意思で選択することができる。

 

世界の登場人物をたくさん増やして、ネガティブな感情を分散させるんだ。

そして楽しく過ごせる友人や家族との時間にフォーカスする。

 

もし人間関係に悩んでいて、泥沼にはまってしまっている人がいたら、その世界だけがあなたの世界ではないことを思い出してほしい。

 

あなたをもっとイキイキとさせる、そんな素敵な世界がたくさんあるはずだから。

 

そんなことを、猫たちの「シャー!」という声から考えていた。

 

P.S. 最近拾い猫リリィも1階に降りてきて、少しずつ距離が近づいてきました。

毛並みもいい感じです。よかったねリリィ。

 

 

コツを掴む瞬間〜餃子作りからボイトレへ〜

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昨日は友達の家でギョーザ作りをしてました。

ただ餃子を作って焼いて食べながら飲むだけの会だったんだけど、思いのほかあんを作りすぎて、大量のギョーザを作るはめになった。

 

基本的に手先はスーパーがつくほど不器用なので、ギョーザはワンタンのようになったり、肉がはみ出てしまったり…。

そもそも1枚の紙から折り鶴すらちゃんと折れない男が、皮とあんが複合されたギョーザなんて作ってはいけないんだ。

しかしあんは一向に減らないので、黙々と下手くそなギョーザを作り続ける。

 

一人ギョーザ作りが上手い友達がいたので、やり方を見せてもらうけど、全く再現出来ない。

正直めげる。

でも腹が減ってきたんで、早く食べたい一心でとにかく作り続けるしかない。

ただ友達とあーだこーだ言いながら楽しく下手ギョーザを量産していた。

 

すると50個近く作った当たりで、一つ完璧に近いギョーザが奇跡的に出来上がった。

なんの前触れもなく奇跡のギョーザ(笑)が出来上がったんで、まぐれだろうと思ってもう一個作ると同じクオリティの物が出来る。

 

どうやらコツを掴んでしまったらしい。

 

それ以降、さんざん序盤で生成された愛すべきクソギョーザは姿を見せなくなってしまった。

 

停滞と継続

 

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何かを会得したり、上達しようとするというのは、階段を登る感覚よりも、壁を一気にかけ登る感覚に似ている気がする。

徐々に目に見えるようにうまくなっていくというよりも、気づいたら一気にうまくなっているっていう感じ。

 

僕は歌が上手くなりたくてボイストレーニングに通っていた時期があったんだけど、その時の上達の流れも同じだった。

 

僕が通っていたボイストレーニングは発声のための筋トレがメインで、一つ一つのトレーニングがなんの役に立つのか全くわからない。

トレーニングの論理的な説明もあまりなくて、トレーニングをして少し音階のハミングをやって、歌って終了。

正直ここで上手くなるのかっていう疑問が頭からこぼれ出しそうだったけど、近場ではそこしか通うところがなくてとにかく上手くなりたくて通ってた。

 

でも、目に見えて上達することもなくて、録音した音源を聞いても先週と何が変わったのかはあまり良くわからない。

自分なりにトレーニングした事を踏まえながら工夫して歌ってみても、喉に負担がかかったり体が疲れるだけで、劇的に何かが変わるわけじゃない。

 

でも他の生徒は明らかに歌がうまかったし、なにかあるに違いないとちゃんと課題だけはこなしていた。

 

突然の成長

 

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しかし、ある日運命の時は訪れる。

 

ボイストレーニングに通って数カ月が立ち、久しぶりに友達となんの気も使わないカラオケに行った時。

なんの気無しに大好きなCHEMISTRYを歌ってみたら、いつもギリギリの感覚で出すキーがあっさりと出た。

 

ん?? とおもって、体の使い方を意識しながらもう1度同じフレーズを歌ってみるも、いつものきつい感じ。

 

いったいなんだ!?と思って、追求したくなったけど、友達ときてる気楽なカラオケなので、体の使い方や音程を意識せずゆるーく歌うことを決めて歌ってみたら、今までで一番うまく歌えたし、友人からの評価も高かった。

 

恐らく鍛えてきた筋肉と、こう歌いたいという意識もしくは神経がいい具合に力が抜けたことで繋がったんだと思う。

 

体調にこそよれど、自然にして力むことさえなければ、その感覚はいつでも再現でき、それ以降は楽に声が出せるようになった。

ビブラートやハイトーン、ミックスボイスに表現の仕方…様々なテクニックは全て同じように会得して、うまくなっていったと思う。

 

コツをつかむ瞬間

 

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コツをつかむ時は徐々に掴むのではなく、一気に掴んで自分のモノにしていくことが多い。

努力をして回数を重ねてもなかなか目に見える上達がないからイヤになってしまうことが多いんだけど、実は目に見えないコツポイントのようなものが貯まっていて、それが一定のレベルに達すると自然と使えるようになるんだよね。

 

ただコツをつかもうとしすぎたり、ものにしようとしすぎると体に力が入ってしまい、会得した能力も上手く発揮出来なくなってしまうことがある。

コツをつかむためにトレーニングを積み更に工夫をし続けることは大切なんだけど、実はすでにものになりそうなのに意識しすぎてコツをつかみ損ねているケースも多い。

 

そこには遊びが必要で、こんなふうにやってみようとか、何も考えず楽しんで取り組んでみたりすることが重要だったりするんだよね。

それはあーだこーだ言いながら楽しく餃子を作ったり、友達と気楽なカラオケに行ったり、トレーニングとは少し離れたところにあるものなのかもしれない。

 

コツを掴むための努力はしっかり続けるんだけど、掴みかけたコツを使えるように引き出すためにも遊びをもっと取り入れていこう。

やっぱり真面目すぎるよりも、ちょっと遊び心や余裕があるほうがうまくいく。

 

遊びや余裕があるからこそ、新しい気づきや発想を吸収出来て、人は進化していけるんだろう。

 

大切な努力ともに、いつでも心に遊びと余裕を。

 

 

コツコツやるだけがコツではないみたいだ(死)

 

 

先出しジャンケンをしよう

平日の昼間は都内の会社に勤めているんだけど、電話応対の多い業務で、毎日色々な人と声だけのコミュニケーションを取っている。

 

内容はあっさりした案内からこってりしたクレームまで様々なんだけど、内容問わずお客さんの態度もさまざま。

 

上から目線で話してくる人、無理な要求を通そうとする人、お客さんの話をわかって当然だと思って突っかかってくる人…etc

 

会社とお客様の構図があるから当然といえば当然なんだけれども、それをとっぱらったら普通の人間同士。もちろんこっちにも感情だってある。

 

こちらは平静を装うことは出来るけど、やっぱりイラってすることもあるし、案内したくないなって思う人がたくさんいるのは正直なところだ。

 

でも今日は珍しくこちらを気遣うお客さんを対応したんだけど、あまりにも自分の感情が動いて、行動が変わってしまったのでその事をちょっと書いてみる。

 

低姿勢で感謝あふれるお客さん

 

なかなか今日は忙しくて、ルーティーンな案内を繰り返していたさなか、そのお客さんから電話が入った。

 

「お忙しいところ申し訳ない、大した質問じゃないんだけどちょっとだけ聞いてもいいかな。」

 

声は50代くらいの男性で、こんな冒頭から始まった応対なんだけど、教えてくれて当たり前っていうスタンスの人達ばかりの中で、こんな低姿勢で電話をかけてくるひとが珍しい。

こんな人もいるんだなと思い、こちらの姿勢も正される。

 

そこからいつも通り質疑応答で、お客さんの問題をクリアにしていくんだけど、毎回「そうなんだ、ありがとう」と感謝の言葉を添えてくれる。

 

やるべき事をやっているだけなのに、なんだかすごく嬉しくなって、いつも以上に丁寧な対応、普段ならしない案内までどんどんしてしまうんだよね。

その度にお客さんは喜んで、「俺にはよく分からないから丁寧に教えてくれて助かるよ」なんて、お世辞でも嬉しい言葉を言ってくれる。

 

そして最後の質問が終わったら、「あなたが出てくれてよかった、ありがとう、また困ったら連絡させてもらうね」と最後まで感謝の言葉を言い続けてくれた。

 

電話が終わった時に、思わず「すげーなぁ」と言葉が漏れてしまうくらい素敵なお客さんだった。

 

お客さんが教えてくれたこと

 

全然大したことない、よくある話なんだけど、普段なら感じることのない幸せな感情をこのお客さんは作ってくれていた。

 

このお客さんは僕に何をしたのか。

 

僕はいろんな人と対応する上で、いろんな反応があるから、なるべくフラットに、そしてどんな人が来てもいいようにと構えてしまうことがある。

 

相手の出方を見て、対応を変えてしまうんだ。

 

でもお客さんは違った。

 

僕がどんな対応をするにしても、絶対に低姿勢だったし、どんな説明にも感謝をして、何なら僕のいい所を常に見ようとしてくれているとさえ感じられたんだよね。

 

最初はフラットな対応で、別に僕に愛想は無かったはずなのに、最初の挨拶と感謝の言葉で向こうからぐっと好意的に距離を詰められた感覚。

 

その好意は見事に僕に伝染して、僕の姿勢から応対まで見事に変えてしまったんだ。

 

相手を知る知らない問わず、好意を持って接する、感謝の気持ちを持って触れるということがどれだけ重要かをまざまざと見せつけられた、たった5分の応対。

 

もてなす側がもてなされてしまった感覚だった。

 

先出しジャンケンの効果

 

このお客さんがやったことは、まさに人間関係の先出しジャンケンだ。

 

相手の出方を見て、判断をしてからこっちの反応を示すのではなくて、相手がどんな人かは関係なく、こちらからまず好意を示すってこと。

 

これってなかなか出来ないんだよね。

こっちが好意を示したのにそれ相応の反応がないとちょっと辛いし、恥ずかしさもある。

 

それをやる前から想像してしまったら、なかなか動けなくなるのもよく分かるし、僕も例外なく躊躇してしまう。

 

でも好意を持って接してくれた人に対して、少なくともマイナスのイメージを持つことはほとんどないんじゃないだろうか?

 

こっちが勝手にネガティブなイメージを持って一歩踏み出せないだけで、本当は最初に行為を示せば、多くの人がより幸せにコミュニケーションが取れるようになるんじゃないかな。

 

いや、嫌な思いをする人の方が圧倒的に少ないはず!

 

だったらもっと積極的に先出しジャンケンをしたほうがいいと感じたんだ。

なかなかできる人はいないから、率先してやったらその分だけ多くの人と心で繋がれるはずなんだよね。

 

どんな初対面のコミュニケーションでもそう。

初めましてから言葉を交わす時、相手に好意を持とうと思っていれば、自然と興味が湧くし、質問や意見のやりとりがスムーズにできるようになる。

 

初対面の人同士が人間関係を簡単により良い形で作るには、一番いい方法だとお客さんから学ばせてもらった。

 

先出しジャンケンは怖いけど、失うものは何もなくて、実は得るものだらけなんだよね。

 

やったらやったもん勝ちの先出しジャンケン。

勝ち負けのない人間関係では一番の必勝法なのかもしれないなぁ〜。

 

 

 

 

 

はじめに言葉ありき

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久々に地元に戻ってきて、家に帰ると昔読んでいた懐かしい本たちと再開する。

掃除がてら本をめくってみると、当時僕が大切にしていた考え方や言葉たちがそこには連なっていた。

 

はじめに言葉ありき。

 

聖書の有名な一説だけど、今思えば、僕の人生は言葉によって支えられてきた人生だった。

 

本を読んだり、ドラマを見たりしたときに、いつもその中で心に響くフレーズや表現があればノートに書き溜めていた。

人生で困難な出来事があるたびに、そのノートを見返して心を奮い立たせて頑張ってきたことが思い出される。

 

分厚い手帳いっぱいになった言葉集は今も机の中に大切にとってあるが、そこに書き溜めてある言葉たちは、今も僕の心を奮い立たせる人生の経験が詰まった素敵な言葉たちだった。

 

そんな風に言葉を集めていると、自然とその言葉が自分の口から出てくるようになるみたいで、周りから「よくそんな言葉知ってるね」とか「表現がすごいよね」とか言われたりすることがあった。

 

相談ごとに乗れば、書き溜めた言葉たちが自然と悩みを解決に導いてくれた時もある。

 

 

いつしか僕を奮い立たせる言葉たちは、少しだけ人の心を軽くすることができる言葉たちになっていた。

大して役になんてたっていないと思うけど、でも喜んでくれた人がいたんだよね。

 

僕は今も言葉を集めることが好きだし、それを編集して発信することも大好きだ。

大好きなことを追及して、その結果誰かの役に立ったらやっぱりうれしい。

 

目の前のたった一人の役に立つことができるように、また言葉集めを楽しんでいこうと思う。

そして小さくてもいいから、発信を続けて、誰かの心が軽くなったらこれ以上のことはない。

 

楽しいに勝るものはないのだ。楽しんで楽しんで、追及していこう。

言葉で救われる人が一人でも増えたらいいなと願って、伝え続けていこう。

 

一人暮らしの効能

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何年かぶりに地元に引っ越してきた。

見慣れた町は変わったところもあれば、変わっていないところもあって、時が止まっているような、でも足早に去っていったような不思議な感覚がある。

 

引っ越しの荷物は軽自動車2台に収まる程度。だいぶ質素な生活をしてきたと思う。

 

しかし、実家に帰ればそれも多くはただの荷物だ。しばらくは片づけに追われそうな予感がする。

 

地元に体を慣らせるため、町を少し歩く。

昔の懐かしい記憶がよみがえるときもあるが、ここに自分がいることにまだ違和感を感じてしまう。

 

体がまだ東京に残っている感覚もあるのだと思うが、何よりも自分自身が変化したのだろう。

 

家を出たことで、本当にたくさんの経験をしてきた。

寒い部屋で凍えそうになりながら寝たり、料理に失敗してたくさん食材をだめにしたり、友達と夜な夜な語り合ったり、全裸で踊ってみたり(笑)

 

ひもじい思いもたくさんしたし、楽しい思い出もたくさん作れた。

一人でさみしい分、時間を共にする誰かを大切にしようとも思えた。

 

地元に帰ってきて、久しぶりに親が作るご飯を食べる。

一人暮らしの時に食べるおかずの何倍もの種類の料理が食卓に並べられる。

 

うまいうまいとうなりながら、全力で頬張る。

米一粒残さず、最後まで食べきる。

 

心から「おいしかった、ごちそうさまでした」と言って食器を片付け、洗う。

 

家を出る前、当時の自分が当たり前だと思っていたことに、本当に心から感謝ができるようになっていた。

誰かに作ってもらえる料理は本当にうまい。

 

感謝の心なんてみじんもなかった当時の自分に対して、変わらない料理を提供してくれていた親は偉大だ。見返りなんていらない、与える幸せを知っているんだろう。

親子関係は尊い。自分が親になったら余計にわかることなのかもしれないね。

 

1~2年は地元に住む予定だけど、あの時住んでいた地元とも違うし、あの時の自分とも違う。

また更に新しくなった自分で生きる地元は、どんな世界を見せてくれるのだろう。

 

一人でも生きていけるけど、一人でなんて生きていかないように。

誰かがそばにいてくれることを当たり前だなんて思っちゃいけない。

 

一人暮らしで得たことは、一人で生きていける能力を手に入れたことと、

当たり前だったことに感謝できるようになることなんだね。

 

与える喜びと与えられる喜びをいつも感じていながら生きていきたいと強く思った。