人生を変える「退路を持ったチャレンジ」
今まで人生を歩んできて、たくさんのチャレンジをしてきた。
もちろん上手くいったものもあれば、上手くいかなかったものもあるけど、
僕の場合はチャレンジする時の状況が結果を左右していたと思う。
逃げ道が残されたチャレンジ
人生でいちばん頑張った時はいつかと問われたら、高校受験だと答えるようにしている。
小学生の時から遊び半分で友達に近所の塾に誘われて入り、特になんの目標もなく、日々与えられる宿題や小テストをこなす日々。
友達と一緒に帰るその時間が楽しくて塾に通っていたようなもんだった。
けれど、日々やるべき事はちゃんとやって過ごしていたんだと思う。
中学生になり、気づいたら成績はトップランクに入っていて、県内有数の進学校を余裕で狙えるレベルになっていた。
途中で成績がブレたりして必死に頑張った時期もあったけど、本当に頑張ったと言えるのは一瞬だけ。
仮に落ちても違う高校には入れるし、強く目標には執着していなかったけど、やった方がいいことはちゃんとやったという印象だ。
これが出来なかったら終わりだなんて首を絞めることもなく、日々やるべき事をちゃんとやってそこに満足感を得る余裕があった。
結果はもちろん合格。
嬉しいし、達成感もあったけど、不思議と頑張った印象はなかったんだ。
周りはとことん褒めてくれて、僕は舞い上がって宙に浮いた(笑)
退路を断ったチャレンジ
20代前半。自分でビジネスをやろうと思った時、僕は思い切って退路を断った。
今までの学歴を駆使して勝ち取った、銀行員という肩書きを捨て、自分の道を歩むことを決めたんだ。
ある程度の用意されていたレールの上から飛び降りた瞬間は、恐怖と同時に究極の自由を手にした気がした。
自分で道を選んだという満足感に浸る。
だけどそれは一瞬だった。
そこからはもう後戻りなんて出来ないという、真っ暗な道を進む感覚。
ここを行くしかないという思いで頑張れる時もあったけど、それも長くは続かなくて、足がすくむことが多くなっていく。
やらなきゃという思いと、泥沼にはまっていくんじゃないかとい思いがせめぎ合い続けるんだ。
ブレーキとアクセルが同時に踏まれて、心がどんどんすり減っていく。
そしてある時、アクセルから足を離して完全に足を止めた。
夢を追うよりも、もうこれ以上続けることは出来ないという気持ちが勝った瞬間だった。
心の余裕があなたの未来を作る
今思えば失敗したチャレンジは無用な追い込みが原因だった気がする。
追い込めば追い込むほど、力が発揮できるし、追い込まないと成功ができないと思っていたんだ。
でも思い切り20代をつかって追い込んだ時分かったことは、追い込んだ方がいい人もいれば、そうでない人もいるということだ。
火事場の馬鹿力が出せる人もいるし、焼け焦げてしまう人もいる。
僕はもっぱら後者だった。
心に余裕がある方が、優雅に動き回ることが出来るタイプだったんだ。
そこに気づけたのは、思い切り退路を断ってチャレンジしたからこそなんだと思う。
僕にとって退路を断つことは、退路を断たない方がいいと気づくための道のりだったのかもしれない。
人生を変える「退路を断ったチャレンジ」
今は退路をしっかりとってチャレンジができている。
これが出来なくても自分は大丈夫という心の余裕をもって行動ができるんだ。
人が目標を立ててその実現のためにチャレンジする回数はなんと平均1回未満という結果が出たそうだ。
チャレンジというものを重くとらえすぎて行動できない人が多いんじゃないだろうか。
僕は退路を作ったことで、今まで以上に気持ちよく、かつ多くの行動を取ることができるようになった。
今までよりも遥かに忙しくはなったが、発信する時間は何とか捻出しようとして、ほかの作業の効率も自ずと上がる。
忙しくて出来ないなら、そこまでやりたくないことなのかもしれないという割り切りも持ってやっている。
ただ、失うものがないから行動がすべてポップなんだ。
楽しみながら前に進むことが出来る。
人生を変えるには多くのチャレンジと行動の数が必要だ。
退路なんか断たないで、安心安全なところから、やりたいことをとことんやってみたらいい。
こうしなきゃいけないなんてことはないんだ。
沢山チャレンジして、沢山失敗できる環境が今の時代は作られている。
人生を変えるために思い切りチャレンジしよう。
帰れる場所がある、安心感を感じながら。